魅せる音楽、聴かせる音楽、そして楽しむ音楽

音楽

昼はバンドのコンサート。夕方からは東京都合唱コンクール。昨日は音楽をひたすらに聴き、感じた一日だった。

同じ音楽と言えど、伝えたいこと、それぞれがやりたいことは様々で、それで良いのだと思えた。私も作曲をしたりピアノを弾いたりするが、「何が正解か?」を考えてしまい、路頭に迷うことが多かったので、目から鱗だった。

何を表現したいのか?
何をしたいのか?

それらが技術以前に大切なことだと思い知らされた。

魅せる音楽

昼のバンドコンサートで見せつけられたのは、魅せるということ。
ステージでの振る舞いが美しい。自然体のようで、見られているという意識に富んでいて、観客とのコミュニケーションを欠かさない。

それはマイクを使って話しかけるという方法だけではなくて、自分が音楽を楽しんでいること、ノっていることを、表情や体の動きで伝えていた。

ひとたびステージに立てば、音楽家であるだけでなく、表現者となるのだと思い知らされた。

聴かせる音楽

一方、夕方から聞きに行った東京都合唱コンクールでの音楽は、非常に耳の心地が良く、音そのもののつくり方を細かく聴いてほしいのだと感じた。「コンクール」という特殊な環境がそうさせているとも考えられる。

2時間程度様々な団体の発表を聴いたが、同じ課題曲でも団体によってまるで演奏の仕方が変わるので、「どう聴かせたいのか」という考えまで伝わってくるようだった。

楽しんでいる人が、人の心をつかむ

結局のところ、胸を張って自分の表現をすることを楽しんでいる人が、人の心をつかむのではないか。音符をなぞるだけでなく、意志を宿す人が、音楽を楽しめるのではないか。

そんな風に思った一日であったし、私も自らが作る楽曲やピアノ演奏が胸を張れるものとなるよう努力したいと思ったし、一方で、胸を張って自分の感性を信じたいとも思った。

自らの感性を信じ表現することが、私らしく生きる一歩となるのではないかと思えた日であった。

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